こんにちは キセキです!今回は「諸子百家」について解説していきます。
誰もが1度は聞いたことがあるけど、結局なんのことだっけ?って人も多いはず。
そんな諸子百家についてかなり詳しく解説していきますね。
諸子百家とは? ずばり
諸子百家(しょしひゃっか)古代中国の春秋戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)に活躍した多様な思想家とその学派を総称した言葉です。
諸子”百家”ですが、100の家が存在している訳ではなく、「多い」=「百」という意味だそうです。
そしてその百家の中にたくさんの人物が含まれています。
そんな諸子百家について徹底的に解説していきます!
諸子百家の歴史
When(いつ)
紀元前770年から紀元前221年までの春秋戦国時代。
この約550年の間、中国は統一国家ではなく、多数の諸侯国が分立し、互いに争い合う戦乱の時代でした。
そんな中で現れた大勢の思想家たちが「諸子百家」です!
Where(どこ)
古代中国全土。
黄河や長江流域の豊かな土地に、多くの諸侯国が存在し、思想家たちは各地を巡りながら活動しました。
Who(だれ)
孔子、孟子、老子、荘子、墨子、韓非子、孫子など、多くの思想家たちとその弟子たち。
このブログでも詳しく見ていきますが、さすがに全員は紹介しきれません。
ですので、後々1人ずつ思想を解説していきたいと考えてます!
What(なに)
それぞれの理想とする哲学や政治思想を体系化し、著作の執筆、講義、弟子の育成、諸侯への助言などを通じて広めました。
何をしたのかはそれぞれの〇家によって違ってきます。
Why(なぜ)
まず、社会的混乱の克服です。
戦乱と道徳の乱れが続く中、社会秩序の回復や理想の政治体制の構築が求められていたからですね。
そして、新たな統治理念の必要性です。
封建制度の崩壊や新興勢力の台頭により、旧来の価値観が揺らぎました。
そのため、新たな統治理念や人間観が必要とされたからですね。
How(どのように)
主な活動としては以下のようなものです。
- 遊説:諸国を巡り、諸侯に自らの思想を説き、採用を求めました。
- 教育:私塾を開き、多くの弟子を育成し、知識や思想を次世代に伝えました。
- 著作:思想を体系化した書物を執筆し、現代まで伝わる貴重な文献となりました。
- 討論と論争:他の思想家との議論を通じて、自身の思想を深め、広めました。

諸子百家に登場する主な人物
ここでは、諸子百家に含まれる人物を大まかに紹介していきます。
もっともっと詳しく解説していきたいのですが、あまりにも長くなるのでここでは割愛させていただく内容が多いです。
詳しい内容は一人ひとりの解説の時にしていきますね。
儒家
孔子(紀元前551年〜紀元前479年)
30歳で私塾を開き、「有教無類(ゆうきょうむるい)」の精神で弟子を育成しました。
諸国を巡り、理想の政治を説くも受け入れられず、最終的に故郷に戻り教育に専念しました。
思想の核心としては「仁」「礼」「徳治主義」などがあります。
孟子(紀元前372年〜紀元前289年)
孔子の孫弟子にあたります。
各国の王に仕え、王道政治を説くが受け入れられず、故郷で教育に専念します。
思想の核心として「性善説」「四端の心」などがあります。
荀子(紀元前313年〜紀元前238年)
斉国の稷下学宮で三度学長を務め、多くの弟子を育成しました。
思想の核心としては「性悪説」「礼による教育」などがあります。
道家
老子
実在性が疑われますが、伝説的な思想家として尊崇されています。
思想の核心としては「道」「無為自然」などがあります。
荘子(紀元前369年〜紀元前286年)
官職に就くことを拒み、隠遁生活を送りながら執筆と思想の探求に専念した人です。
思想の核心としては「万物は一(いち)」「逍遥遊」などがあります。
墨家
墨子(紀元前468年〜紀元前376年)
儒家の出身とも言われますが、その形式主義を批判し、独自の思想を展開しました。
工学や兵法にも精通し、実践的な活動を行いました。
思想の核心としては「兼相愛、交相利」「非攻」などがあります。
法家
韓非子(紀元前280年〜紀元前233年)
荀子に学び、法家思想を完成させます。
秦の始皇帝に招かれるも、同門の李斯の嫉妬と陰謀により投獄され、毒殺されてしまいます。
思想の核心としては「法」「術」「勢」があります。
商鞅(紀元前390年〜紀元前338年)
秦の孝公に仕え、「商鞅変法」と呼ばれる改革を断行しました。
法治主義と中央集権化を推進し、秦の強国化に貢献した人です。
思想の核心としては「功績主義」があります。
「立木の信」は有名なエピソードですね←実はよくわかってないw
兵家
孫子
呉王闔閭に仕え、軍事的勝利に貢献しました。
誰もが聞いたことのある「孫子の兵法」を執筆した人ですね。
思想の核心としては「戦わずして勝つ」などがあります。
その他の家
- 陰陽家:鄒衍
- 縦横家:蘇秦,張儀
- 農家:許行
- 雑家:呂不韋
- 小說家:虞卿
- その他:尹文子,慎到

諸子百家に登場する人物同士の関係
孔子,孟子,荀子
孔子の思想を受け継いだ孟子と荀子は、共に儒家を代表する思想家です。
しかし、人間性に対する考え方で対立しています。
孟子は「性善説」、荀子は「性悪説」を説きました。
荀子と法家
荀子の弟子である李斯と韓非子は、法家思想を発展させました。
荀子の考えから法治主義が派生したとも言えます。
墨子と儒家
墨子は儒家の形式的な礼や音楽を批判し、実用性と平等な愛(兼愛)を重視しました。
両者はしばしば思想的に対立していたようです。
道家と儒家
道家は自然との調和や自由を追求し、法家は厳格な法律と統制を重視しました。
両者は統治方法や人間観で対極的な立場をとっています。
その他の関係
縦横家と諸学派
縦横家は外交戦略を駆使し、諸侯国間のパワーバランスを操作しました。
他の学派のように思想ではなく、実践的な策謀・策略を重視したわけですね。
名家と他学派
名家は論理学や言語学の発展に寄与しました。
言葉と言葉の定義、現実との関係を探求したようです。
他の学派との直接的な思想交流よりも、論理的な思考方法の提供に力を入れました。

諸子百家の影響
前史
殷・周時代の思想的基盤として、以下の3つがあります。
- 天命思想:王朝の正統性を天の意志と結び付ける考え方。
- 礼楽制度:社会秩序を維持するための儀礼や音楽の制度化。
- 祖先崇拝と宗法:家族や氏族の結束を重視。
この思想基盤に改革をもたらそうとしたのが諸子百家ですね。
諸子百家の時代
まず、思想の多様化と深化が起こります。
社会・政治の混乱が思想家たちの活躍を促進したことで、各学派が互いに競い、批判し合いながら思想を発展させていきました。
また、学術拠点である稷下学宮(斉国)ができました。
ここに多くの思想家が集い、自由に議論・研究を行いました。
このような学術センターが知識の交流と発展を促しました。
後史
- 秦の秦始皇帝は法家の思想を採用:中央集権的な統治を実現
- 焚書坑儒:異なる思想を弾圧し、思想統制を図る
- 漢の時代になると、漢武帝は儒家を国家の公式イデオロギー(信念体系の枠組み)とし、官僚システムの基盤としました。
- 董仲舒による儒教の再編成:天人相関説を取り入れ、儒教を宇宙論と結び付けました。
- 宋明理学:朱熹や王陽明らが儒教を哲学的に深化
- 清代の考証学:実証的な学問が発展し、古典の再評価
現代
諸子百家は現代においてどのような影響を与えているのか、主な内容を以下に記します。
- 教育と倫理:儒家の教えは現代の家庭や学校教育での道徳観に影響。親孝行や礼儀、仁義の精神が重視
- ビジネスとリーダーシップ:『孫子兵法』は経営戦略や組織運営の指南書として世界的に活用
- 精神的豊かさの追求:道家の思想は、現代のストレス社会において心の安らぎや自己啓発の源泉として注目、ヨガやマインドフルネスといった実践とも共鳴。
- 法制度と行政:法家の法治主義は、現代の法治国家の理念に通じる。法の下の平等や公正な法制度の重要性を再認識。
- 科学と伝統医学:陰陽五行説は、中国伝統医学の基礎として、鍼灸や漢方治療に応用。自然と人体の調和を重視する考え方。
- 国際関係と外交戦略:縦横家の外交術は、現代の国際政治や外交交渉における戦略的思考として参考に。多国間協議やアライアンスの形成、パワーバランスの調整など。
- 環境意識と持続可能性:道家の自然観は、現代の環境保護や持続可能な社会の構築に影響。自然との共生や調和の重要性。
思想を学ぶにつれて、自分の人生にも生かせる部分が多くあると思います。

諸子百家とは? まとめ
諸子百家の思想家たちは、混乱と変革の時代において、自らの信念と情熱を持って理想の社会や人間の在り方を追求しました。
彼らの多様な思想と哲学は、中国の歴史と文化の礎となり、東アジア全体、さらには世界に影響を与えています。
どれだけ混沌としている世界でも希望を捨てずに、自分らしい思想で生きていけるかが大切なのです。
これからより詳しく諸子百家の人物たちについて解説していきます。
ただそれを学ぶだけでなく、自分の人生にどう取り入れたらいいかを考えて、使っていきましょう。
今あなたは混沌とした闇の中にいるかもしれません。
ただずっと光を待ちますか? それともあなた自身が光になりますか?
全てはあなたがただ学ぶか、学んだことを使えるかにかかっています一一
